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間もなく天皇杯

  • 2011.08.28 Sunday 18:36
 今年も天皇杯が始まる季節。ということで、神奈川県の代表を決める「神奈川県サッカー選手権大会」の決勝を観てきた。NPO法人横浜スポーツカルチャクラブ(水色)と東海大学(黄黒)の戦い。



アチャー





ウリャー





オリャー





それはさておき、試合は実力差があってYSCCが圧倒。東海大はシュートをほとんど打たせてもらえなかった。



1点目(23須原←相手3の陰)





2点目(8吉田←7の陰)





3点目(11辻)



 YSCCが3-1で東海大を下し神奈川県代表に。

Eye-Fi 導入

  • 2011.08.26 Friday 22:47
 デジカメで撮ったデータをパソコンに転送するのが面倒で、ブログに写真を載せるのをついつい億劫にしている。



 ふと、Wi-Fiでデータを飛ばしてくれるEye-Fiというメモリカード製品があったことを思い出した。登場当初はいろいろと不具合があるという話が伝わってきていたので敬遠していたが、ヒトバシラー諸氏のおかげで問題もかなり解消されたようで、もう大丈夫だろうとPRO X2版(8GB)を購入。



 インストールした直後はまったく動作せずに少しばかり焦ったものの、セキュリティソフトのESET Smart Securityのファイアウォールがブロックしていることがわかり、毎度おなじみの「対話型フィルタリングモード」にして解決。



 画像ファイルの転送には時間がかかるので(とくにRAW)、撮ったあとはデジカメの電源をすぐにオフにしてしてはダメということも理解した(つもり)。





とりあえず今日の夕食(笑)



 かなり楽チンですね。ただし残念ながらLEICA M9/M9-PではEye-Fiは使えませんのでユーザー諸氏は注意を(持ってないけど)。





翻訳は簡単な仕事じゃないんだ

  • 2011.08.22 Monday 23:30
 まだ会社勤めをしていた頃に、翻訳や物書きとして独立できないかといろいろと考えて、翻訳関連の本を読み漁ったことがあった。どの本も毒にも薬にもならない程度の情報しかなかったなかで、一冊だけ衝撃を受けた本があった。



 山岡洋一著「翻訳とは何か−職業としての翻訳」(日外アソシエーツ)



 少しくらいなら英語はできるし、多少なりとも専門知識もあるから、技術翻訳なんて簡単じゃん、などと甘い考えを持ちながらこの本を読むと、初めの数ページでバッサリと袈裟懸けに斬られる。読み進むにつれて何回もバッサバッサと斬られる。読み終える頃にはもう全身ばらばらである。立ち直る気力はすべて失われる。



 翻訳なんて仕事は自分には無理だ、甘い考えは捨てよう、独立なんて諦めよう、サラリーマンで一生を終えよう。そう思い詰めるしかなくなってくる。事実、読後一週間ほどはぼーっとしていたように記憶している。



 刀折れ矢尽きた心理状態から抜け出すにはとにかく時間がかかった。それでも尚、よし独立してやるぞ、と気力が再び沸いてくるまでにはもっと時間がかかった。



 要するに世にありがちな甘言は書いてないのである。本音で語る人が少なくなった今、本音で書かれた本は貴重だ。山岡氏のこの一冊に出会っていなければ、もっと甘い気持ちで仕事に取り組んでいたはずだ。



 本を通じて出会った「我が心の恩師」の一人が8月20日にまだ62歳で心筋梗塞により帰らぬ人となってしまった。合掌。



(要旨は「翻訳は簡単な仕事じゃないんだ」というインタビュー記事に凝縮されているが、翻訳をする人、発注する人、すべてに読んでもらいたい一冊。)





親子サッカー

  • 2011.08.21 Sunday 15:19
 昨日の土曜日は、息子の中学のサッカー部が毎年開催している親子サッカー大会へ。運動不足+サッカー経験のあまりないお父さん達が、毎日のように部活でハードな練習をしている息子連中と対決するというイベント。何しろ半数以上のお父さん達がトレシューやスパイクでなくて普通の運動靴で参加してくるのだから実力は推して知るべし(笑)。



 開会のときに顧問の先生から「絶対にケガだけはしないでください、でないと今年で大会が終わってしまいます」と注意があり、本当は笑うところなのに、シャレになりかねないのでお父さん達の顔は引きつり気味。



 猛暑だったら体がもたないなと心配していたものの、急に涼しくなったおかげで、10分の試合×5くらいにバテずに参加できた。もっとも1試合目が終了したあたりからガラスの腰がピキピキ言い始めて、腰痛ストレッチを繰り返しながらの綱渡り状態。弱すぎ>腰







 それにしても中学3年生にもなると体も大きくなりテクニックも付き、親相手にかなり手を抜いているのは明らかなのに、チンチンにされてしまった。パス・アンド・ムーブでガンガン崩されるという感じ。一方で中2はまだまだ。ということは一年間でずいぶん成長するのかも。残念ながら息子のチームとは組合せで当たることはなかったけれど、楽しかった。

日経WOMANに掲載

  • 2011.08.12 Friday 17:24
 以前上梓した「副業の達人」(秀和システム)関連で、日経WOMAN誌9月号の副業特集に、ご尊顔(笑)の写真とともにちょろっと載っております(久しぶりに取材されました)。



日経WOMAN

 本当にちょろっとです。見つけたあなたは偉い!





備蓄米

  • 2011.08.10 Wednesday 01:17
 「米騒動」が起こる前に少し買っておくかなと思って、なんやかんやと注文しているうちに、22年産の玄米の蓄えが図らずも90kgになってしまった。九州産の23年米を60kg予約してあるので、全部を合わせると150kgになる。我が家の一年分+αの消費量というところ。



 玄米であっても決して長期保存ができるわけではなく、米倉庫のように低温保管しない限りコクゾウムシが沸いてくるそうなので、「ネルパック」という脱酸素密閉パックを使って小分けにしている。ちなみにネルパックは、手に入れた6月の段階では在庫は豊富だったのに、先ほど覗いたら全種類売り切れになっていた。みんな考えることは同じである。



 布団収納袋のような気密性の高い袋に米を入れてホッカイロも一緒を閉じ込めておくと、ホッカイロの鉄粉が酸素を吸着して脱酸素の状態になるため、ネルパックと同じように一年程度は保存できるらしい。なおジップロックは素材(ポリエチレン)が酸素を通してしまうのでダメである。





右ふたつはネルパック10kg袋。左はネルパック5kg袋にテストを兼ねてホッカイロの小さいやつを入れてあるが、見事にかちんこちんに脱気されている。



 スーパーにはまだ22年米がたくさん並んでいるし、フクイチの影響はほぼゼロと思われる宮崎産の23年米も通常の値段で出始めていた。大潟村あきたこまち生産者協会は自主検査を行って5ベクレル/kg以下でしか出荷しないそうだ。千葉県多古町の早場米からは放射性物質は検出されなかった。東北・北陸の検査結果が出揃うのはこれからだが、放射性物質は白米部分にはほとんど蓄積されないという説もあり、「米騒動」が杞憂で終わることを願っている。



[2011/08/10 追記] 真空パックあるいはフードシーラーと呼ばれる機械と専用のビニールを使用する方法もある。安いところでのお勧めは「真空パックん」だとか。



[2011/8/11 追記] 静岡県が県中部と県西部の検査結果を発表。いずれも検出限界(2Bq/kg)以下。



[2011/8/16 追記] コメの検査状況については「3.11東日本大震災後の日本」というブログが参考になる。





もう一回だけ、マツ

  • 2011.08.08 Monday 11:29
 日本を代表する有名企業に新卒で採用されたときから次々とヒット商品を開発。一時期はメディアにも頻繁に顔を出し、多少のムラっ気はあるものの情熱溢れる仕事への取り組みから、その会社を代表する「ミスター〇〇」とさえ呼ばれるほど。かといって決して驕るわけではなく、若手からも兄貴分として慕われ、競合他社との交流も多く、業界からも一目置かれていた。



 これからも安泰かと思われた入社17年目、16年間勤めて数々のヒット商品にかかわってきたその会社から、青天の霹靂のごとく早期退職を勧告された。人望は厚かったが個性があまりにも強すぎたため、同業他社からの誘いはゼロ。一時は目の前が真っ暗になり、そのまま退職して悠々自適の道も考えたものの、「オレ、仕事が好きなんですよ。まだまだ仕事を続けさせてください」と言い残して、唯一声を掛けてくれた長野県松本市の小さな町工場に転職。そのとき夢は何ですかと問われ、「世界に通用する商品の開発」と即答。



 しかし町工場の職場環境は大手企業とは比べ物にならないほど劣悪だった。狭い事務所に少ない予算。スタッフがいないのでコピーも消耗品の発注も全部自分でこなさないといけない。若手社員はやる気はあるものの、大手企業ほどの実力・技術力もなく洗練もされていない。これまではお客さんが向こうから勝手に来てくれたのに、今はなんとかアポを取り付けて、こちらから出向いて頭を下げてようやく商談が始まるといった始末。社名と肩書きだけで仕事ができた前職時代とは大違いだった。



 それでも無邪気な笑顔でこんなことを言う。「うちの社員、みんなオレより仕事好きなんだよね。ま、オレも仕事好きでは負けないけど。でも本当にいい。本当に松本まできて良かった」。



 そんな矢先、通勤途上で突然の心臓発作。路上で救命措置が施され、搬送先の病院で二日間にわたって生命が維持されたものの、意識が戻ることなくそのまま帰らぬ人となった。世界に通用する商品の開発という夢半ばで。



>>>>



 自分は大手企業に17年いて、そのあと似非ベンチャーに3年いたけど、「オレ、仕事が好きなんですよ」とか「本当にいい。本当に転職して良かった」という心境には至らなかったなぁ、などと遠い目をしてみる。

松田直樹、34歳、サッカー馬鹿

  • 2011.08.04 Thursday 22:12
 松田直樹選手の「異変」を感じたのは8月2日の11時頃のことだ。twitterのタイムラインにマリサポの女性のこんなつぶやきを発見したときからすべてが始まった。

え?!!!マツに何があったの?!!!!




 彼女のタイムラインを辿ってみると、ある人が次のようなツイートをしていた。どうやら松本山雅の練習の見学に来ていたらしい。おそらくこのツイートがネット上の「第一報」である。

8/2 10:32

練習中松田が心肺停止で運ばれた… 戻ってこい!♯yamaga




 これを機に「#yamaga」タグは騒然となる。同じ人からの続報。

8/2 11:02

倒れた状況はわかりませんが、懸命に心臓マッサージがなされ、しかし意識戻らず救急隊によって搬送されました。




8/2 11:09

松田が搬送され練習は中止。頑張れ松田! #yamaga




8/2 11:53

一瞬何が起きているのかわからなかった。選手が一か所に集まりだしたのでミーティングでも始まったのかと思った。そしたら選手たちから「マツさん!」「マツ起きろ!!」という叫びが聞えたので事の重大さに気付く... #yamaga




 同じ頃に2chからも情報が流れてきた。情報ソースがこれでふたつになり、信憑性がにわかに高まる。

854 名前:U-名無しさん@実況はサッカーch[] 投稿日:2011/08/02(火) 11:32:06.32 ID:NFHJXRhU0

全体でランニングした後、選手が集まったときに倒れた。

たまたま見学者の中に看護師がいたので心臓マッサージ。

周りでは松田の名前を叫び続ける選手達。

しかし、そのまま何の反応もなく到着した救急車に搬送されて行った。




 決定的となったのは長野の地方テレビ局が速報した画面のキャプチャが流れたときだ。急性心不全と診断されるなど、その後の状況は報道されたとおりである。



 そして闘病の甲斐なく、意識が二度とも戻ることなく、今日の13時頃に死去が発表された。松本山雅のユニを着た試合を観る機会なく逝ってしまった。無念である。本人も無念だろう。







 2009年6月14日に横浜F・マリノス選手会主催で開催されたサッカー教室@日産スタジアムにて。前列右から2番目が愚息。当時、松田選手は選手会会長を務めていて、いつもの明るいノリで子供たちを盛り上げてくれていた。とにかく残念だよ、マツ。





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